証券会社に求められるのは、正確な情報の収集と迅速な解析、そして顧客一人ひとりに最適な提案を行う体制です。しかし、近年の市場はかつてないほど複雑さを増し、従来の分析方法や人力中心の業務フローでは対応しきれない課題が顕在化していました。
野村證券は、国内外に展開する総合証券会社として、情報の信頼性確保と顧客対応力の両立を強く求められてきました。これらを同時に実現するために、同社はAIを積極的に取り入れ、業務革新に挑戦しています。本記事では、野村證券が抱えていた課題から導入したAI事例、そこから得られた成果、そして企業全体の戦略的位置づけに至るまでを解説していきます。
野村證券が抱えていた課題

野村證券は長年にわたり国内外の投資家にサービスを提供してきましたが、近年は情報の爆発的な増加や規制強化、顧客ニーズの多様化といった新しい課題に直面していました。
市場に流れるデータ量は人の処理能力を超え、分析の遅れが投資判断の質に直結する恐れがあります。さらに広告や商品説明に関する法令遵守も厳格化し、コンプライアンス業務の負担は増大しました。加えて、顧客からの問い合わせや相談対応も拡大し、人的リソースだけでは対応に限界が見えてきました。以下では、こうした課題を3つの側面から詳しく掘り下げます。
情報過多によるアナリストの負担増加

金融市場における情報の量は、10年前と比較しても飛躍的に増加しています。各国の経済指標や企業決算データ、地政学的リスクに関する速報などに加え、SNSをはじめとした非伝統的データも投資判断に影響を与えるようになりました。
こうした膨大な情報を従来の人力中心の体制で処理することは困難であり、アナリストの業務は過重になりがちでした。さらに情報の遅れは投資判断の機会損失につながるため、スピードと精度を両立させる新たな仕組みが必要とされていました。野村證券は、これらの課題に正面から向き合い、AIを活用することで情報解析を強化する方針を固めたのです。
コンプライアンス業務の複雑さ

証券会社は広告や商品説明資料の作成に際し、厳格な規制を遵守する必要があります。虚偽や誤解を招く表現は顧客保護の観点から禁止されており、審査部門は日々大量の文書をチェックしていました。しかし、金融商品の複雑化や規制改正の頻発により、審査業務の負担は増加の一途をたどっていました。
人手による確認には限界があり、誤りを防ぐためには多層的なチェック体制が必要となります。結果として時間がかかり、業務効率を阻害する要因にもなっていたのです。野村證券は、この領域に生成AIを取り入れることで、業務の迅速化と精度向上を両立させる解決策を模索しました。
顧客対応における効率の低下

証券会社にとって顧客からの問い合わせ対応は信頼構築の要です。株価や商品内容に関する質問に迅速かつ的確に答えることは、顧客満足度を左右する重要な要素となります。しかし、問い合わせ件数の増加に対して人的リソースは限られており、対応の遅れが不満につながるケースも見られました。
さらに、簡単なFAQ対応に時間を取られることで、担当者が本来注力すべき資産運用の提案や高度な相談に割く時間が削られるという問題もありました。野村證券は、AIを顧客対応に取り入れることで、効率化と満足度向上を同時に図る必要性を強く感じていたのです。
野村證券が導入したAI事例

野村證券は直面していた課題を克服するため、複数の分野でAIを段階的に導入してきました。その方針の特徴は、単なる作業効率化にとどまらず、「正確性の確保」「安心して使える環境」「顧客体験の向上」を重視している点にあります。
具体例としては、Amazon Bedrockを用いた生成AI基盤、資産管理アプリにおけるチャットボット活用、FIC部門での市場分析支援、さらに広告審査業務の自動化などが挙げられます。以下で、それぞれの取り組みを掘り下げます。
Amazon Bedrockを活用した生成AI基盤

引用:AWS
野村證券はAWSが提供する生成AI基盤「Amazon Bedrock」を採用し、金融業務に必要な膨大な情報整理や文書作成をサポートする仕組みを整えました。以前はアナリストが時間をかけてまとめていた市場レポートや経済ニュースの要約をAIが担うことで、担当者は分析や戦略立案といった本質的な業務に注力できるようになっています。
Bedrockは複数の大規模言語モデルを組み合わせて活用できるため、精度と柔軟性のバランスに優れている点も評価されています。さらに、AWSのセキュアな環境を利用することで、金融機関が求める高い安全基準を満たしながら業務に組み込むことが可能になりました。結果として、情報処理のスピードは向上し、信頼性のある基盤を確保しています。
チャットボット「Alli」による顧客対応改善

引用:LINE WORKS
顧客からの問い合わせに対応する場面でもAIが導入されています。資産管理アプリにはAllganize社のチャットボット「Alli」が採用され、ユーザーの質問に自動で答えられるようになりました。営業時間に関わらず利用できる仕組みが整ったことで、顧客は必要な情報を即座に入手できます。
導入前は複数の担当者が常時対応に追われていましたが、今では少人数体制で効率的に運用可能となり、社員はより専門的な相談や提案活動に時間を割けるようになりました。この変化は単に人手を削減するためのものではなく、利用者にとっては利便性が高まり、企業側にとってはサービス全体の価値を引き上げる取り組みとして位置付けられています。
FIC部門でのAI分析支援と若手育成

債券や為替を扱うFIC部門では、AIが市場分析の初期段階を補助しています。経済指標や価格データの整理をAIが行うことで、従来よりも早く状況を把握できるようになりました。これによりアナリストは、本来注力すべき市場動向の解釈や顧客への提案に集中することができます。また、経験の浅い若手社員にとってもAIは学習ツールとして役立ちます。
複雑なデータを分かりやすく整理して提示してくれるため、業務の理解が進みやすく、早い段階で実務に対応できる力を養えるのです。業務効率と教育効果を同時に得られる点が、FIC部門での大きな成果となっています。
広告審査における生成AI導入

金融商品に関する広告や資料は、顧客保護の観点から厳格な基準で審査されます。野村證券はこの領域にも生成AIを導入し、誇大表現や法令違反の可能性がある表現を自動的に抽出できる仕組みを構築しました。AIは過去の審査基準や法改正の履歴を参照し、人間では気づきにくい表現のリスクを検出します。
その結果、審査業務のスピードが上がり、担当者は最終確認や判断に集中できるようになりました。完全に人を置き換えるわけではなく、AIが一次チェックを行い、人が最終責任を持つ体制を取ることで、精度と信頼性の両立が実現しています。この導入は、業務効率化だけでなく顧客保護の強化にもつながっています。
各導入事例の詳細と効果

AIを導入した野村證券では、単に業務を効率化するだけでなく、組織や顧客に多面的な成果をもたらしています。情報処理のスピードアップや顧客対応力の強化、リスク管理体制の確立、さらには人材育成まで、導入の効果は幅広い領域に及んでいます。
ここでは、導入した事例がどのような具体的な変化を生んだのかを掘り下げ、成果と波及効果を整理していきます。
市場分析スピードと精度の向上

市場分析のスピードは証券ビジネスの生命線です。AI導入以前は、アナリストが数百ページに及ぶレポートや膨大なデータを人力で整理する必要がありました。AIを活用することで、これらの情報は短時間で要約され、関連性の高い内容が自動的に抽出されます。これにより、アナリストは調査の初期段階を迅速に終え、本質的な分析や戦略的提案に集中できるようになりました。
結果として、レポート作成や市場予測の精度も向上し、顧客に対してよりタイムリーで信頼性の高い情報を提供できる体制が整いました。スピードと精度の両立は、証券業務において大きな競争優位性をもたらしています。
顧客満足度向上と人材活用の最適化

AIチャットボットの導入によって、顧客からの問い合わせ対応が大幅に改善しました。従来は電話や窓口での対応に多くの人員を割いていましたが、AIが24時間体制でFAQに応答することで、待ち時間の短縮と情報提供の迅速化が実現しました。顧客は必要な情報をすぐに得られるため、利便性と満足度が向上しています。
また、担当者は定型的な業務から解放され、個別性の高い提案や資産運用の相談に集中できるようになりました。人材を「効率的に配分する」仕組みが整ったことで、組織全体の生産性も上がり、結果的にサービスの質の底上げにつながっています。
リスク管理・コンプライアンス体制の強化

証券会社にとって、法令遵守やコンプライアンスは最優先課題のひとつです。野村證券は広告審査や資料確認に生成AIを導入し、不適切な表現や誤解を招く可能性のある内容を自動的に検出できる体制を築きました。AIが一次チェックを担うことで、審査スピードが向上するとともに、人間のレビュー精度も高まります。
これにより、誤表記や法令違反のリスクを最小化し、顧客保護の信頼性を高めることができました。また、AIによる履歴管理や改訂対応もスムーズに行えるため、規制変更にも迅速に対応可能です。結果として、リスク管理体制は以前よりも強固なものとなりました。
組織全体への波及効果

AIの導入は、特定の業務だけに効果をもたらすものではなく、組織全体に波及しています。分析や顧客対応、コンプライアンスが効率化されたことで、社員は余裕を持って高度な業務に取り組むことが可能となりました。特に若手社員にとっては、AIが知識補助として機能することで成長スピードが速まり、組織全体のスキルレベルが引き上げられています。
また、AI導入を通じて「データに基づく意思決定」の文化が社内に浸透した点も重要です。これにより、属人的な判断に依存せず、組織として合理的で透明性の高い経営判断が行えるようになっています。
野村證券の概要とAI戦略

1925年に創業した野村證券は、国内最大級の総合証券会社として長い歴史を持ち、現在はアジアを中心に欧米にも拠点を展開しています。個人投資家から機関投資家まで幅広い顧客にサービスを提供し、資産運用や投資銀行業務など多彩な分野で存在感を示しています。
同社にとってAIは単なる業務支援の道具ではなく、経営理念を体現するための重要な基盤と考えられています。本章では、企業としての全体像を踏まえながら、AI活用がどのように事業戦略と結びついているのかを解説していきます。
国内外に広がるグローバルネットワーク

野村證券は日本国内に強固な基盤を持つと同時に、ニューヨークやロンドン、香港、シンガポールといった主要金融都市に拠点を置いています。世界の投資家にサービスを届けるには、地域ごとに異なる情報を迅速に収集し活用する力が欠かせません。各拠点で集められる膨大なデータは、従来は人の手で整理されていましたが、AI導入によって処理スピードと正確性が高まりました。
その結果、グローバル市場の動きを統一的に把握できるようになり、国内外の顧客へ安定した情報提供が可能になっています。国際的なネットワークはAI活用の舞台ともなり、サービスの信頼性を底上げする役割を果たしているといえます。
顧客第一を掲げる経営理念とAI活用の親和性

野村證券が長年掲げてきた「顧客第一主義」は、同社のあらゆる取り組みの根底にあります。顧客が安心して判断できるよう正確で分かりやすい情報を提供し続けることが使命とされてきました。AIの導入は、この理念と高い親和性を持っています。例えば、資産管理アプリに組み込まれたチャットボットは、顧客が疑問を感じた瞬間に回答を得られる環境を整えました。
市場分析や広告審査での生成AI活用も同様に、正確性と透明性を強める手段として機能しています。AIは効率化の象徴ではなく、顧客の安心感を守るための基盤として導入されているのです。理念と技術が結びついたことで、同社は一層信頼性の高いサービスを提供できる体制を築きました。
今後の展望とAIへの期待

今後の野村證券は、AIを活用した成長の加速と社会的な価値創造を見据えています。単なる業務効率化にとどまらず、投資家一人ひとりに合わせた提案やリスク分析の高度化を通じて、より質の高い金融サービスを提供することが目標です。近年注目されるESG投資の分野でも、AIを活用して膨大な非財務データを整理・解析し、投資判断に役立てる取り組みが期待されています。
また、AIの学習を通じて若手社員のスキル向上も促進され、組織全体の知見が積み上がる効果も考えられます。金融業界の環境が変化するなか、AIを味方につけた野村證券は「人とテクノロジーが共に進化する企業」として未来像を描こうとしています。
まとめ:
野村證券は、膨大な情報処理や厳格なコンプライアンス対応、増え続ける顧客ニーズといった多様な課題に直面してきました。これらの課題に応えるために導入されたAIは、単なる効率化の道具ではなく、企業理念である「顧客第一主義」を具体化するための基盤となっています。市場分析の高速化、チャットボットによる利便性向上、広告審査の自動化、さらにはFIC部門での若手育成など、導入分野は広がりを見せています。 導入の成果は、情報処理のスピードや正確性の向上にとどまりません。
顧客が安心して取引に臨める環境を整え、社員が高度な提案活動に専念できる体制を築いた点に大きな意義があります。さらに、AIの活用を通じて組織全体に「データを基盤とした意思決定」の文化が浸透し、持続的な成長に向けた基盤が強化されました。 今後、AIはパーソナライズされた資産運用支援やESG投資分析、さらにはグローバル市場の統合的な判断支援にまで広がっていくと考えられます。野村證券はAIを通じて顧客と社会の双方に価値を還元し、「人とテクノロジーが共に進化する金融機関」としての姿を鮮明にしつつあります。
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